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知りたいこと

I. 放射線リスクの実像
 先に述べたいろいろな放射線リスクが混在して私たちの周りにありますが、単に放射線が危険であるかどうかというような単純な話ではないようです。

事務処理の公式としての放射線リスク
   これまでの放射線リスクとは、すべての人に当てはまるような公式になっていて、そこに被ばく線量を代入すれば、死亡の可能性が計算できることになっています。体の中で起こるような複雑なことが計算できるのか、そしてすべての人の体の中で同じ現象が起っているのか、というような生物学的に基本的な問題は、考えられたことがありません。“公式の形”をどうするかという議論ばかりが数十年にわたって続いてきました。
 放射線リスクの話では、リスクモデルという言葉が出てきます。これは公式の形のことです。しきい値なし直線モデルでは、公式の形はゼロを通る直線ですし、しきい値があるモデルでは、しきい値がある形にするわけです。これまでの放射線リスクの議論というのは、実はすべて公式の形をどうするかという議論なのです。

 公式にするということは、すべての人の体の中で起こることをひとつの式に当てはめるということです。式に被ばく線量の数値を代入すれば、私たちが将来がんになって死亡する可能性が計算できるというわけです。すべての人のリスクがそんなひとつの式に当てはめることができるのか、という本質的な疑問は常にありますが、それを言っていると公式が作れなくなりますので、「こういうことにしておこう」と決めてしまいます。公式はこのように作られ、それが放射線リスクという名前で出てくるのです。私たちの周りにある放射線リスクというのはすべてこのようなものです。
 公式では集団全体で平均化したリスクを考えますので、ひとりひとりのことはどうでもいいのです。私たちが公式からはずれて、もっと危険だったらどうしますか。逆に、私たちは危険でもないのに公式によって危険だとされて、無駄な心配させられているとすればどうでしょうか。
 私たち個人のことを現実に考えられるのでなければ、私たちには無意味なのです。

 「私はその式に当てはまるのですか?」と聞いてみましょう。
誰一人として答えられません。
「では、誰に当てはまる公式なのですか?」と聞いてみましょう。
これにも誰も答えられません。
「何のためにそんな公式が必要なのですか?」という質問には、「全体のリスク(被害)の大きさを見積もるために必要」という答えになるでしょう。結局、全体の被害を推測するために行政的に必要なものなのです。
盛んに議論されてきた放射線リスク。どんなにすごい科学的生物学的な意味があるのかと思えば、単に事務処理のためだというわけです。書類や報告書に記入する数値を計算するためなのです。

リスク基準の社会的な意味
 放射線は、使い方によっては危険性があるものですから、社会の中で使い方や量をコントロールしなければなりません。そのためには、この放射線の量によってこれだけの被害が出る可能性があるという見積りが必要です。その際に、数値がないと可能性が評価できず、事務処理ができないのです。
 そこで計算のための公式が必要になるわけですが、事務処理とは言え、電力業界、原子力・核関連業界、石油業界、そして原子力政策、核政策などの大きな利害に結びついているため、みんなが躍起になるのです。

 政治的、業界的そして個人的利害を追及するために、それぞれに都合のいいリスクの公式が必要なのです。
放射線が危険だということにした方が都合のいい政策や業界では、直線仮説の公式を広めようとします。反対に少しなら放射線が危険でないということが都合よければ、しきい値のある公式を主張します。また、放射線で一儲けしたい業者は、少しの放射線は体にいいのだという公式を宣伝に使います。いずれも科学という名目で主張されますので、一般の人々は疑問を抱いたり反論したりできず、利益追求の良い道具になります。
 現在の日本の政治は妙な立場にあります。放射線防護行政では、ICRPしたがって「放射線は少しでも危険」としていますが、その一方で原子力をエネルギー政策の柱としているために、「放射線は少しなら危険ではない」と言おうとしています。放射線リスクは都合で変わり、一般の人々はそれに振り回されるのです。

   放射線リスクを正しく理解するというのは、このような現実を知ることから始まるのですが、私たち一般市民にとっては、体の中で本当に起こっている生物学的な事実が重要なのです。
 現時点で明らかなのは、これらの公式のどれが正しいのかとか、どれが科学的に根拠があるのか、というようなことではなく、どれにせよ、“誰のリスクもあらわしていない”ということなのです。私たちが知りたいことではありません。

II. 私たちが知りたいこと
 これまで放射線リスクと呼ばれてきたもの、そしてさまざまな仮説はすべて私たちには関係のないリスクです。なぜなら、私たち自身や家族の個人の現実の生物学的なリスク(がんの可能性)は表していないからです。
 その理由は、それらのリスクはすべて、生物学的な発がんメカニズムを考えずに、疫学調査データの数字だけで作られた公式だからです。疫学調査データというのは、もちろん私たちのデータではなく、過去の時代のどこかの国のある集団のデータです。その人々に起こったのと同じことが“私たちにも起こることにして”リスクとしていますが、その人々と私たちの間には、発がんの生物学を考えると大きなギャップがあり、同じことが起こるはずはありません。それにもかかわらず同じことが起こることにして公式にしているのです。また、その中の一人一人がどうなのかは、一切分からないのです。
 私たちが病院でCTを受けたときに、それによるがんの可能性が計算されますが、それは昔のどこかの人々を平均化したらこうでした、という数字に過ぎません。たとえそれが現代人のデータでも、あなたとは違うだれか別の人のデータをあなたに当てはめて、あなたもその人と同じようになるでしょう、と言われているのです。

 私たちにとって、どんな内容であろうと、どんなにデータがあろうと、どんな権威や肩書きがそれを主張しようと、たとえ国を挙げてそれを広めようと、関係ないものは関係ないし、必要でないものは必要ではないのです。偉い先生方が何を言おうと結構ですし、政府が何を言おうと結構ですが、私たちが知りたいことでなければまったく意味はありません。
 こうした方が、人々の安全のために良いとか、環境に良いはずだとか、自分の業界に有利だとか、税金の節約になるとか、産業界のバランスが保てるとか、国からの科研費や企業からの委託研究費を取りやすいとか、自分の言っていることは正しいはずだとか、その他どんなことであれ、生物学的な真実以外のことに耳を傾ける必要はありません。私たちは放射線のことを勉強したいのではありませんし、役にも立たない学術論文を書きたいわけでもありません。自分たちのことを知りたいだけなのです。
 日本の全国民が30ミリシーベルト被ばくすると何人ががんで死亡する可能性があるかというようなことを聞いても仕方ありません。私たちが60年前の広島の市民であって、もし原爆を被爆したらどれだけの人ががんで死亡するだろうというような夢のような話を聞いてもしかたありません。どこかの国のどこかの人々と同じような体質で、同じような生活をして同じような被ばくをした場合のがんになる可能性というような仮定の話などどうでもいいのです。そして細胞の生物学をまったく考えずに、計算だけで危険性計算してもらっても仕方ないのです。
 私たちが知りたいのは、私たちがこれまでに受けた放射線検査によって将来がんになってしまう可能性が本当にあるのかどうか、私たちが30年間にわたって従事してきた現場の放射線によって将来何かが起こる可能性があるのかどうかなのです。私たちが知りたいのは、私たち自身の現実の話なのです。

 私たちの姿勢をはっきりしておきましょう。
 “私たちが知りたい放射線リスクをあらわしているかどうか”だけが重要で、私たちの判断の基準はこれだけです。
 いろいろな目的でいろいろな人々が、どんな主張をしても自由です。
 研究者には研究者の利害に合った放射線リスクがあり、原子力業界にはそれに合った放射線リスクがあり、放射線防護の専門家にはそのための放射線リスクがあります。それぞれの都合を反映している放射線リスクがあるのです。
 同じように、私たち一般市民には“私たちの放射線リスク”があります。それは、私たち自身や家族の生物学的ながんの可能性のことです。集団全体の話ではなく、私たちひとりひとりの個人の現実の話だけが意味があるのです。
 それらはそれらの道を行けばいいし、私たちは私たちの道をゆけばいいのです。


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